Recuerdo de México I
強大なアステカ帝国の中心として栄えた、現在のメキシコシティーの前身ともいえる幻の都"テノチティトラン"。
9月22日、いよいよ"テンプロ・マヨール(大ピラミッド神殿遺跡)"における公演を数時間後に控えた午後、私は、自分にとって大恩人である、メキシコに暮す日系のご家族を訪ねました。
写真、むかって私のすぐ左から、日本料理店"エル・サムライ"の代表、小林しのぶさん、お母様の喜和子さん、そして次女の菜穂子さんです。
感涙 .... "ウエストサイド物語" on B'way !
はじめてニューヨークにやってきた1988年夏以来、待ちに待ち続けた不朽の傑作ミュージカル、"ウエストサイド物語"のブロードウエイ・リヴァイヴァル。
寒さも少々やわらいできた3月5日の夜。
この日私は、あたかもシャーク団のリーダー、"ベルナルド"。
肩で風を切りながら、ブロードウエイのパレス劇場に向かっていました。
そして...
"イーストサイド"生まれのベルナルドは観劇中、アメリカへはじめてやってきた頃のことを思い出し、隣にいる母とワイフに気がつかれないよう5回ほど涙を流しました。
Juramento al Don Maestro -ユパンキへの誓い-
いまを遡ること14年前、1994年2月、盛夏のアルゼンチン、コルドバ州セロコロラド。
私は、そのさらに5年前の1989年1月に、かの地においてギターの手ほどきをしてくれたアタウアルパ・ユパンキ(1908-1992)のお墓を訪れ、追悼演奏を行いました。
ユパンキとのセロコロラドでの出会い同様、このトピックも、これまでウェッブサイト上でご紹介をしていなかった当時の記録です。
Recuerdo del Don Maestro - ユパンキの思い出 -
いまから20年前の1988年8月1日、ニューヨークへ単身乗り込んできた私を待っていたのは、私のこれまでの人生においても、もっとも不思議なできごといえる、南米フォルクローレの最高峰、巨匠アタウアルパ・ユパンキ(1908-1992)との出会いでした。
(写真) 1989年1月、81回めの誕生日を目前にした、80歳のアタウアルパ・ユパンキと、26歳の私。
アルゼンチン、コルドバ州セロコロラドの、ユパンキのサマーハウス玄関口にて。
テノチティトラン 永遠の詩アステカ
今日は、私が数あるラテンアメリカ諸国のなかでも最も好きな国のひとつであるメキシコにおいて作曲したナンバーについてお話したいと思います。
アドナイ・エレと羊めー館
私の新作ギター・アンサンブル・ナンバー、「ダヒュ」をイメージした人形を、岩手県の北部、二戸(にのへ)郡の奥中山にある、ひつじ工房アドナイ・エレ(電話0195-35-3931)のみなさんが作ってくださいました。
彼女たちは、敷地内で放牧している羊の毛を刈り、それらを草木染めで彩った、100パーセントナチュラルな美しい製品をたくさん作っています。
写真は、セルティック・クロス(ケルトの十字架)を抱いた、なんとも愛らしいダヒュ。
Southern Landへの想い Final Chapter
1988年に単身ニューヨークに渡り、ユパンキと出会い、そしてギタリストとしていろいろな国で活動をなどと聞けば、すべてがトントン拍子で進んだようですが、実際は決してそうではありません。
いろいろなことがとにかく最悪であった年1991年、私は、知り合いをたよってニューメキシコ州に移り、観光牧場の住みこみ乗馬ガイドとして働き半年を過ごしたのです。
そのとき知り合った数多くの素晴らしい人々。音楽はカントリーしかしらないカウボーイに、素朴で可憐なチカーナ(アメリカ生まれのメキシコ女性)たち。
なんだか開拓民のムードをそのまま残しているような彼らと過ごした時間は、私にとって、多くのことを学んだかけがえのない体験となりました。
そして、アミーゴになった、ナバホの血をひく青年がくれた一冊の本、"ネイティヴ・アメリカン・ウイズダム"。
誇り高き北米先住民の英雄たちの語録集が、ふたたび私に、ニューヨークへ戻るエナジーを与えてくれたのです。
その後私は、ニューヨークのスラム街のバーやクラブでギターを弾きだし、やがて人生を決定づけることになるユパンキの詩、"ヒロシマ 忘れえぬ町"と出会うことになります。
写真)1991年に、New World Libraryから出版された Native American Wisdom。
頭のうしろからコツンとたたかれたようなハッとする言葉の数々に、当時の私はどれだけ勇気を与えられたかわかりません。
彼らのものの考え方は、その後の私に大きな影響を及ぼしました。
Southern landへの想い 2 Kokopelli,my charm!
南米先住民のフォークロア同様、私を惹きつけてはなさないのが、北米のネイティヴ・アメリカンの世界です。
もともとアメリカは彼らの土地であったわけですが、現在は、政府によって決められた居留区(リザーヴェーション)に暮し、そこにいる限りは税金の免除などが保障されるなどしながら、日常は一般のアメリカ人として生活しています。
ただ今でも、その独自の風習や、言語を守る活動がさかんに行われており、そんな彼らの暮らすリザーヴェーションを訪れるのは、実によい体験です。
特に、アリゾナ、ユタ、ニュー・メキシコに広大な範囲にわたって広がる、北米最大規模のナバホ・リザーヴェーションにある「モニュメント・バレー」は、世の中にこんなに美しい場所がほかにあるだろうかという感じ。
写真)美しいモニュメント・バレー。
小学校一年生のときから乗馬を習っていたので、いまでも馬が大好きです。
乗馬ならプロの俳優さんたちにも負けませんよ(!)
Southern Landへの想い 1 Blue side of Shiro
およそ前衛的なものや、技巧的なもの意外ならありとあらゆる音楽を楽しみますが、アメリカの南部に起こったブルースは(ユパンキのフォルクローレは別として)、私がもっとも愛してやまない音楽です。
これだけ単純な構成にもかかわらず、その奥の深さはまさに無限で、かつこれだけ心地よく人の心にエモーショナルに訴えてくるものはありません。
それぞれが短い三部構成からなる私の新作「ダヒュ」は、第一部では、静かなブルターニュの海の彼方から聴こえてくる、美しいダヒュの歌声を模した純然たるクラシカル・ギターのソロで幕をあけますが、続く第二部では、がらりと雰囲気をかえ水底に沈んだ王女の恨み悲しみを表現するために、サイド・ギターを加えて、はじめてブルースのギター・テクニックを導入しました。
もちろんいままでステージで、ブルース奏法を披露したことはありません。
しかし少年時代、クラシカル・ギターの勉強と平行して、私はかなりの時間をブルースのレコードを聴くことにあて、自分でもいろいろとその奏法を研究したものでした。
ここでようやくそのときの経験が役にたちそうです。
さらにファイナル・パートではテンポアップして、ジプシーのフォーク・ダンス風ギターへと展開する私の「ダヒュ」。
目下のところ「ダヒュ」は、自分の創るギター音楽の集大成といってよいと思っています。
写真)「ダヒュ」第二部で使用する、ブルース・ギターに欠かせないボトルネック・スライドバー。
カリブの楽園 アルーバの休日
1月の末から一週間、カリブ海(西インド諸島)にある、まるでひとつぶの真珠のような美しい島、アルーバ(Aruba)で休暇を過ごしました。
ありがたいことに、世界の有名な観光地へは仕事で行けることが多いので、個人的なヴァケーションは、のんびり裸足かぞうりで過ごせる美しいビーチ一辺倒となります。
今回はじめて訪れたアルーバは、数あるカリブの島々のなかでもかなり南に位置しているため、他の島にあるハリケーンの心配がなく、一年中いつ行っても青く澄み渡った空とコバルトブルーの海が楽しめ、さらに水が良質なため食べ物がとにかくおいしく、人は親切で、もうすっかりこの島のとりこになってしまいました。
数年前までオランダ領であったことから、現在も公用語はオランダ語ですが、スペイン語、英語も多く話され、さらにそれらがまぜこぜになったパピアメント語というかわいい言語が飛び交っており、なんとも魅力でいっぱいのハッピーアイランドです。
ニューヨークから直行で5時間のアルーバ。
日本の皆様、今年のゴールデンウイークはNYとこのアルーバのセット旅行はいかがですか?
写真)プールもビーチもほぼ貸切状態




